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【文芸】月あかりを食す-2

 午前五時二十四分。今日はアフターがあって、帰るのが遅れてしまった。今日、犬のために用意したのは後輩のルミちゃんからもらったカップケーキだ。流石に加齢臭はついてないから犬も喜んで食べてくれるだろう。


 私は犬がどんな表情でカップケーキを食べてくれるのか想像しながら神泉のホームで電車を待っていた。 

 しかし、抱いていた期待とは裏腹に犬の反応はあまりよくなかった。犬にどれだけカップケーキを勧めてもそっぽを向くばかりだった。 

「……もしかして、香水の匂いダメ?」 

 犬はそっぽを向いたままだ。 

「今度は気をつけるからさ、お願い食べてよ」 

 私は何度も頼んだ。しかし、犬は一向に食べようとしなかった。 

「……今度は気をつける」 

 すると犬はこちらを向いて体を沈ませながらうなった。 

 犬がモノを食べるという行為を拒み始めたのはこの頃からだった。どんな食べ物を与えようとしても犬は首を振って食べることを拒んだ。もともと細かった体が日を増すごとに弱々しくなる様を見て、私の心臓は変な鼓動を刻んだ。 

「今日も駄目だったか」 

 私は荒れたテーブルにバックを置いた。その時、バッグの中からコンビニ弁当がこちらを覗いているのが見えた。私はそれを取り出し、透明な蓋を開けた。ちくわの磯辺揚げが載ったのり弁当はおいしくなさそうだった。 

 『食べる』という行為は不思議だ。人間は一週間食べないと死ぬ、とどこかで聞いた。そんな簡単に死ねるんだ、と私は思った。でも、私の驚きなんてお構いなしに、人間は食べる。だから皆生きているし、私も生きている。 

 だけど、食べても食べても塞がらない空洞ってのが体のどこかにある気がして、食べれば食べるほど、その空洞を意識してしまうから嫌になる。 


 だから、私は食べることが出来ない。 


 どれだけ咀嚼してお腹の中に入れても、結局吐いてしまう。それでも、食べなくちゃ、って心のどこかで思ってしまう。 

生きたいんだっけ?私。死にたいんだっけ?私。 

私は、身勝手に散らばる気持ちのまま、意を決してのり弁当をかき込んだ。固体とも液体とも言えない味たちが口の中で暴れた。 

数分後、粉々になったちくわと米とのりが、酸性の体液とドロドロに溶け合って吐き出された。

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