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執筆者の写真新聞 麻布報道

相模湖遭難事件から70年 同級生「あの時、人数を数えていれば――」

1954年10月8日に発生した「内郷丸遭難事件」、通称「相模湖遭難事件」から今月8日で70年の節目を迎えた。講堂では大きな祭壇が設けられるなど「慰霊祭」の場が設けられ、在校生や保護者、犠牲となった生徒の同級生などが訪れた。当時14歳だった同級生も今年84歳を迎えるなど高齢化も進む中、今回同級生6人の方にお話を伺うことができた。


【KEY WORD 相模湖遭難事件/内郷丸遭難事件】 学年行事で訪れた相模湖畔で、当初の計画になかった遊覧船に乗船した麻布中学校2年生の生徒75名と教員2名のうち、生徒22名が犠牲となった事故・事件。遊覧船「内郷丸」は違法改造船であり、本来の定員を大幅に超過して乗船させることが常態化していた。船は離岸後10分程度で浸水が始まり、沈没。22名の生徒は「永久の生徒」とされ、以降10月8日は「反省の日」として行事の安全を改めて考える日となっている。この事件の12日前に青函連絡船「洞爺丸」が沈没する大規模な事故が起きていたこともありこの事件は社会でも大きく取り上げられた。

今回お話を伺ったのは、成田篤彦さん(前列左)、長野一宇<かずいえ>さん(後列中央右)、栗山榮治さん(前列右)、前田久明さん(後列中央左)、大木圭之介さん(後列左)、萬肇<はじめ>さん(後列右)の6人。このうち成田さんと栗山さんは内郷丸に乗船し、救助された経験がある。


 まず全員が口を揃えたのが「当時は雨だった」ということ。対岸に集合する、という指示があり、船代を払えないからとバスで向かう生徒も、遊覧船で向かう生徒もいたという。 乗船の経緯については「生徒の口伝えで、知ってる人は知ってるという程度。組織的には募集していなかった。当初は50人くらいだったはずだけれど、続々と『俺も俺も』となって、船長も断れなかったんじゃないか」。あるクラスは担任が声をかけたので乗船人数が多く、犠牲者も集中していることが記録にも残っている。萬さんや大木さんは「下山が遅い組だったし、お金もなかったから乗らなかった」という。


 沈没について、「大きな船の波が来たという人がいるそうだけれど、じわじわと水が入ってきた」と成田さんは証言する。栗山さんも「後ろの方が騒がしくなって、じわじわと」浸水したという。造船工学が専門で、東京大学名誉教授でもある前田さんは「船の排気管は水面から上がっているはずなのに、定員の4倍も乗船したことで船が重くなり、2~3分で水面下に排水管が沈んでしまった。その後10分くらいで沈没した」と事故後の調査も併せて分析している。



 成田さんはこう続ける。「デッキから湖に出ると、浮きがあって。僕は泳げないから、シマダ君と2人で捕まったら浮きが沈んでしまって、もう死ぬな、と思って。もう手が出なくなって、あ、っと思った時に引っ張られた。上がったら学生服がびりびりで。当時、競艇場を近くに作ろうとしていて、そのボートが何台もものすごい勢いで飛んできてくれて。大きい遊覧船に移ったあと、『みんないるか?』と言われたけれど、とてもそんなことが起こっているとは思わないわけで。僕が助からなかったらほかの人が助かった」


 栗山さんは「水中でもがいても、何度も浮いたり沈んだりを繰り返した。3回目に漁船が来てくれて、その船体に捕まった。助かった人に『お前に足を引っ張られた』とも言われた」という。「地元の方がすごく協力的で。靴(編み上げの短靴。軍隊で使われているような高級品)も帰るころには乾かしてくれて」


 長野さんは、帰りの状況についてこう話してくれた。「当時帰り道で覚えてるのは、(生徒が乗った)バスとすれ違うハイヤーから『何々ちゃんいるー?』とか『何々さんは無事ですかー』とか。行方不明と知った保護者なのか、叫んでいた」行方不明者が22人であると明らかになったのは、その日の夜になってからだった。混乱があったとはいえ、現場での統制が取れなかったことは問題だ。


 「人の親になってみて、やはり自分の子供が死ぬというのは、大変なことだなぁと思うよね」そう話す成田さんは、のちに教員として麻布に帰ってくることになる。「教師をやっていてよく生徒に言ったのは『名前なんかいいんだ、頭数を数えろ』。そんな状況ではなかったかもしれないが、あの時、救助船で人数を数えていれば、救助船が岸に戻ってしまうこともなかったと思う。しばらくして、事故があったのに、帳簿を見ずに点呼を取った先生がいて、憤慨した。そりゃ教師だから生徒の名前くらい覚えてるけれど、何なんだろうこの人は、と思った」


 事故を防ぐためには何が必要か、成田さんは「その場で状況が変わるということはあるだろうけれど、事前に調べてから行くべき。その場になって決定するということはあってはならない」と訴える。「黄色信号でバッって行く人と、必ず止まる人がいる。止まる方がどう考えたって安全。やっぱり危なそうだな、と思ったらやめることだね」「やっぱりこういうことがあった学校にいるのだから、こうした当時の報道などを見て、実際にこういうことがあったのだな、と危険に対する意識を持つことが大事。事故は起きる。きちんと要因をその都度洗い出すこと」


 また、専門家として前田さんは「船舶検査機構というのができたけど、それでも(2022年4月の)知床の事故は起きた。安全を保障するやり方はいろいろあるから、その都度その都度考える必要がある」とも指摘した。


 今年の学年行事は大きな事故もなく、12日までに全行程が終了した。各コースの引率教員、運営者のみならず、全員が改めて安全に対する意識を持つことの重要性を感じた。

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