【誰にもなれない僕だから−2(後)】京都新聞記者・田中恒輝さん
- 新聞 麻布報道
- 7月9日
- 読了時間: 13分
麻布での活動や京都大学での学びについての前編はこちら
【電子版にのみ掲載している質問は ◆ を付しています】
--大学院で博士に進まれず、修士で終わられたのは、どういった理由だったのでしょうか。◆
考古学の修士課程を修了した人は、教育委員会に技術職の就職枠があるので、学者(いわゆる研究者)になれるかは別として、技術職になることはできるんですね。これは日本史の古文書を専門にする人がそれを仕事にするよりよっぽど容易です。
私の場合、このまま考古学の道を進むのであれば、そういった技術職より、大学の研究者や国立博物館レベルの博物館学芸員とかがいいなと思ったのですが、そういったところは圧倒的に採用枠が少ないんですね。
あとは、仮に研究がうまくいって定職に就いたとしても、若手が搾取される社会構造から自分だけ逃げるのも、それでいいのかなと思うところがあって。大学院生の時、授業の補助をしてお金をもらうティーチングアシスタントというアルバイトをしていたのですが、これも大学に予算がないから、働いた分のお給料が入らないこともあって。これは搾取構造だな、と。
吉田寮からの退去の一件で京都大学の執行部を嫌いになったこともあって、大学に残るという選択よりは、そういったことに「異議申し立て」をできる方向に進みたいなと思いました。
--就職活動では、どういった企業に応募されたのでしょうか。
私は、もともと美術系の雑誌を出しているOBの話を聞く機会があって、そういった専門系の雑誌をやりたいなと思ったのが就職の始まりです。その中で何かを調べて書くような仕事をしたいなと考えるようになって。また、研究をしている都合上、学部生ほど就職に力を入れられず、京都新聞、朝日新聞、共同通信社、あと岡山の山陽新聞と、茶の雑誌を出している淡交社、これらだけを受けた、といったところです。
ただ、京都新聞以外全て落ちまして。あと就職の手札が京都新聞しか残っていない、となってしまい、これは博士課程に行けと言うお告げかと思うところもあったのですが、最後、京都新聞にだけ採用されました。
--京都新聞というと、京都と滋賀の一部エリアで発行されている地方紙ですね。
京都本社のほかに東京支社が大きな拠点としてあり、他に近畿エリアでも複数支社があります。最初は配属された京都府宇治市に引っ越しました。
--宇治エリアに配属、ということが決まった後、日々の取材対象というのはどれくらい裁量があるものなのでしょうか。
裁量の塊、裁量しかない、といったところです。京都本社の事件担当であれば毎朝毎晩、警察官の家を回って、昼間火事があったらそこにタクシーで行く、みたいなことをやっているのですが、(京都本社以外の)地方は本当に何もなくて。企業からのプレスリリース(メディア向けの発表文書)も全然ないですし。自分でその辺ぶらぶらしたり、知ってる人に電話をかけて「何かないですかね」みたいなことを言い続けるしか。
一つ例を挙げると、入社直後のコロナ禍で公共施設がほとんど閉じ、徐々に再開してきた頃に、図書館がどういった工夫をしているのか気になって。そこらじゅうの図書館に電話をかけて、どんな対策をしていますか、ということを聞きました。面白そうなところは何館か聞きに行ったりして。地方はとにかく自分で企画をしないといけないので、これは難しいですが、やりがいもあります。
もちろん自分の好きな文化の取材をしているときでも、火事が起きたら切り上げてそちらへ取材しなければいけないのですが、そんなに起こることでもないので。
--かなり自分の足で探し回るといった印象ですね。
京都本社にいるとプレスリリースをさばくだけで結構時間を取られてしまうそうなので、社内でも地方所属の方が恵まれているというか。京都市内の方が面白い話題はたくさんあると思うのですが、裁量という意味では地方はやり放題なので。
当時は宇治市、あと久御山という小さい町、それと石清水八幡宮がある八幡市が担当でした。宇治や八幡は神社とかお寺が多い地域で、取材でそういった施設を訪れるのは、歴史好きの私にとって新しい世界でした。観光で行くことはありましたが、お坊さんに話を聞くのはなかなか無い経験で非常に面白かったです。
例えば、建物の大改修をしているお寺にそのことを聞きに行ったり、あとは神社で御朱印を作ったとか、お寺をライトアップするとか。やはり宗教離れの中でお寺や神社の工夫を聞きに行くのは面白かったですね。
--記事は、大体紙面に載るものなのでしょうか。◆
京都新聞は記事がまず紙面に載り、ほぼ全ての記事が電子版にもアップされます。全国紙の政治部などだと、一人ひとりの政治家に取材したメモを記者が上司に送り、上司が複数人分を取りまとめてその上司の名前で掲載する、ということは結構あるんです。ただ、京都新聞、特に地方は書けば自分の名前で載る、というか。
--一人で企画から記事化まで実行する上で、どういったスキルが必要だと思われますか。
面白い、と思う気付き力でしょうか。文章力とかよりも、これいけるんじゃないか、みたいな力。最初の腰を上げるところさえできれば、あとは何とかなると思うんじゃないかと思います。
例えば、公園に遊具を設置して逮捕された男性の話がありました。これは本当に軽微な犯罪で、スルーしてもいいのですが、「『遊具を設置して逮捕される』って普通に考えておかしいのでは?警察権力の濫用では」みたいなことを思うわけですよ。そうするとその男性が15年以上指導に従っていなかったとか、警察に取材したら男性は逮捕されてその後釈放されたらしい、ということがわかってきたり。いろんな情報を使って現場に出向けば会えるんじゃないかと思って、行ってみたら本人がいたり。
逮捕された人に話を聞きに行くというのはやめておいた方が、と普通は思うじゃないですか。でも、もし話を聞くことができたら面白いな、みたいな。意外と動いてみると、話を聞くこともできるし、面白くもなります。
また、自分で「こういう問題が起きているのではないか」と思って相手方に取材してみると実際そういう問題が起きている、みたいな。そういう気付き力、私はまだなかなかないんですけれども。

--2022年から担当エリアが変わられたそうですね。
エリアは農村に移った、という感じです。南丹市という平成の大合併で4つの町を寄せ集めて市になったようなところが主です。旧京北町という京都市の一部エリアも担当しています。
地元の人だったら、自分の米は自分で作って当たり前、みたいな。お米の育て方を知らないと不思議な人扱いされるようなイメージです。

--失礼ですが、そういったところで取材することは少ないようにも思えます。
逆に、あります。なぜかというと、先ほどの宇治市、八幡市と言ったところは今や京都市のベッドタウンで、地域の催しとかもあまり盛んではないんです。ただ、南丹市は外から移住してきた人が多いので、例えば移住してきて美術、芸術をやる人とか、面白いことをやろうという人がいます。
また、ずっと住んでいる人たちは、例えば車に乗れないお年寄りが増えているのに、車で40分走らないとスーパーがないような集落もあるので、運転できる若手(70歳)が交代で運転ボランティアをする、とか。「頑張らないと生活できない世界」でもあるので、面白い話題としても、厳しい課題としても宇治よりはあるんじゃないかと思います。
地元の人たちには、何かあったら京都新聞の記者に電話をかけて呼ぼう、と思っていただいているので。私も完全によそ者ですが、赴任してきて一回名刺交換した人の知り合いからいきなり電話がかかってきて話題提供されたり。観光客が結構来るようなお祭りでも「京都新聞の人は良いから」と地元の人と同じはっぴを着せてもらって、普段の腕章代わりで「それ着てたら裏でもどこでも自由なところから写真撮っていい」みたいなことを言ってもらえたりして。そういう距離の近さは田舎ならではですね。
--都会ではメディアというと警戒の対象にされやすいですが。
やはり京都の山間部の人だと、庭にキレイな花が咲いたとか、京都の歴史を調べて自費出版したとか、そういうのをツイッターに上げるのではなく京都新聞に電話を掛けるという習慣が幸いにもあるので、いろんな情報が入ってきます。
我々新聞記者は、大体1日1本記事を出さないと気まずい、みたいなところがあって。ただこちらに来て話題に困ることはあまりないですね。1日1本記事を書けるくらいには投げ込み(読者からの話題提供)か自分で取材した成果がある、くらいですね。何もなさそうに見えても、歴史もあるし今の課題もあるし、といった感じです。
一般的な記者のイメージは内閣記者会とか夜討ち朝駆けとかだと思います。私もおそらく次は京都本社勤務になるとは思うのですが、農業の事とかもわからないという人は一番最初に農村部に来て、新しい世界を見て、日本は広いなという実感を持ってから都市部に戻ったほうがいいと思います。また、自分で企画する修行の場としても地方の方が良いかと。
--「鯖街道」を歩くツアーに同行される記事を書かれていますが、このきっかけは。
※京都新聞 2024年6月12日付朝刊
「知ってる?『もう一つの』鯖街道 京都市北区鷹峯へ至る『忘れられゆく』そのルートとは」
直接的なきっかけは、京都府が運営している研修施設が京北エリアにあるんですけれども、そこの主催事業として鯖街道をいくつかの区間に分けて踏破しようという企画を見つけたことでした。施設の広報誌にごく短くそういったツアーのことが書いてあって、その広報誌を普段から見ているのでたまたま見つけて。普段から付き合いのある施設なので、どういうことをしているのかと聞くと、今は車が通れなくなっているような道をみんなで歩いて、昔栄えたのに忘れられかけている道の記憶を残したい、という話だったので、面白いなと思い同行することになりました。
--そうした現地へ同行するという取材方法は、よくあるものなのでしょうか。
メディアの取材と言われると記者会見とかのイメージがあると思うが、特に地方の場合は現場に足を運ぶのが鉄則です。
山に限っても、山に生えている貴重な植物をシカに食べられてしまうので、その対策の柵を立てに行くところを取材したり、クマがスギやヒノキといった林業のための樹木を傷つけているというので現場を見に行ったり、だとか。険しい山を含めて、現地に行くのはそんなに珍しいことではないです。
--なるほど、ではその場で誰かに話を聞くということも多いのでは。
都会で地域の歴史を聞く、ということになると、大学教授や学芸員といった肩書のある専門家に聞くことが多いですが、地方ではアカデミックな教育を受けた人は残念ながら少ないです。一方、先祖代々の言い伝えや、農業・林業で山を歩き回っている方の経験則に基づく知恵をお持ちの方が多い。集落の「ボス」みたいな人が京都新聞と仲が良いことが多いので、とっかかりの人として相談して、この地域の歴史に詳しい方はいませんか、みたいなことを聞くと、地元のおじいさんが詳しい、みたいなことが往々にしてありますね。
--そういった知恵はこれから失われてしまうのでは、という感覚があります。
戦争体験も経験者に話を聞けるのはそろそろ最後ですし……。南丹市に、戦争末期に日本軍の戦闘機が墜落するという事故があった、ということを噂で聞いて調べ始めました。取材を進める中で、その墜落を目撃された90歳近いおじいさんが「自分が最後の目撃者だろう」とおっしゃっていたんですが、その翌年には高齢者施設に入られてしまいました。そうした、ギリギリでの接触、ということもあります。
また、田舎のお祭りを取材する際に「なんでこういった身体の動きをするんですか」とか「なぜこの道具を使うのですか」ということを聞いても、今の70歳くらいの人はわからないということも多い。一世代前ならわかったんじゃないか…とか。
農林業を中心に、村で完結する生活をしていたのは90歳くらいの世代が多い。今の70代などはお勤め人の経験がある世代なので、村の歴史などを聞いてもわからないということがあります。
※京都新聞 2024年10月7日付朝刊
「京都府の山あい集落で聞いた『おとぎ話』蓄積の再評価と継承の先にこそ光明が」
--メディアの取材の役割は、報道と同時に記録にもあるとも言われています。個人でも記録することが容易な時代に、新聞で記事にするということの価値はどこにあるでしょうか。◆
東京の人は簡単に全国紙のデータベースが利用できますが、京都新聞では何十年も前の記事に一般の人が接触するのは難しいです。ただ、新聞社で働いている身からすると、数十年前の記事というのは頻繁に参照するんですよね。
例えば、現在の公共施設は築20~30年のものが多く、老朽化が問題になってきています。こうした施設が建った頃の賑わいは、今の市役所の職員に聞いても、ベテランでないとわからないこともあります。記事であれば詳しいことがわかるし、他にも戦前のバス路線が開通したときの様子や、鉄道駅が開業したときの盛り上がりなども、我々はデータベースですぐに検索できる、という利点があります。
もともと私は歴史学出身なので個人的にも興味があるし、現代的な報道をするにあたっても歴史的な経緯を知ることは骨太な記事を書く上で重要です。記事を書く身として、半分はその日に新聞を読んでくれる読者の方、もう半分は将来参照してくれる記者もしくは住民の方のためと思って書いています。

--将来的には、どういった取材をしたいとお考えですか。
京都新聞には宗教担当が1人か2人置かれているので、今後仏教・神道がどう生き残っていくのか、また、文化財担当もセットになっているので、遺跡発掘なども扱ってみたいです。そうした分野は、もともと研究していて好きですし。少し前に品川駅の近くで線路跡が見つかったのですが(「高輪築堤」)結局壊してしまうことになったとか。これはもはや学問より政治の世界です。当時の自分の研究も学術以上に政治に左右されていた部分はあり、文化財と政治という方向性を攻めていきたいと思っています。
また、大学院の時は400年前に死んでいる人の焼き物、作品にばかり触れていて、作品の意図を聞くことは当然できませんでした。就職してからいろんな陶芸家や画家に話を聞くと、もちろんしゃべりたくないという人もいますが、どういうことを表現しようとしたのか、話すのが好きな人もいます。作家と交流できるというのは現代美術の面白さだと感じていて、そういった美術・工芸の取材をしたいと考えています。
これらは自分の楽しみというところもありますが、自分が面白いと思って書いた記事の方が結果的に楽しんで読んでもらえると思うので。
--学生時代、やっておいてよかったと思うことはありますか。
旅行、ですかね。地歴部旅行を最大限活用して、高2の時に47都道府県を回ったり、旅行先で古い建物を見て感動して、古いものの歴史を知りたいなと思ったりしたので。また、今の仕事もとりあえず自分でいろんなところを見に行くのが勝負のようなところはありますが、気になったら現地を見に行くという習慣をつけていたのはよかったです。
学生時代、東京でサイクリングするのも好きだったので、気になったらとにかく見に行く、みたいな外回りをたくさんしていたのは今の方向性につながっていると思います。
--ベタな質問ですが、麻布生にコメントなどあれば。
私もベタな質問って仕事でしがちなんですけど…なんでしょう、気になったことを追究する、というのはすごく大事だし、大学まではできるかもしれないけれど就職すると難しいですし。大学受験とかの不安もあるとは思うのですが、まずは目の前のやりたいことをやる、というのが結果的には将来につながるとは思うので。
あまり、恐れずに! 漠然とした不安を抱かずに、これをやりたいな、見たいなと思ったら今やっておくことは大事なのかなと思います。地歴部で2週間九州に行くとか、大学で2週間海外行くとかもありましたが、なかなか就職すると難しいので、ぜひいろんなことをやってみてください。
Comments